研究の概要

具体的な研究対象は、がん、特に白血病・悪性リンパ腫と、ヒトレトロウイルスの病原性発現機構です。これらのテーマを、遺伝子発現プロファイル、シグナル伝達異常、エピジェネティクス制御機構、および染色体異常の観点から解析して、疾患発症に至る分子機構と、病態発現の基盤となる分子病態を明らかにし、分子標的療法、発症予防および病態制御による治療と診断の基礎となる情報を明らかにする研究を行っています。具体的な研究テーマの関係を図1に示します。


図1.渡邉研の研究プロジェクト

(1)成人T細胞白血病・リンパ腫(ATL)発症の分子機構の解明

ATLの原因ウイルスであるヒトT細胞白血病ウイルス(Human T-cell Leukemia virus Type-I, HTLV-1)は、主に母乳を介して垂直感染し、50年以上の臨床的潜伏期の後に白血病が発症する大変予後不良の白血病・リンパ腫です(図2)。このため、感染Tリンパ球の腫瘍化にはウイルスの遺伝子ばかりでなく、多くの宿主細胞側の遺伝子の変化が関与すると考えられています(「多段階発癌機構」)(図3)。我々のグループでは発癌に関わる遺伝子異常の実体を明らかにする事を目指し、図4に示す様に、原因ウイルスが宿主細胞へ与える影響と宿主細胞側の遺伝子異常の実態を明らかにするという、2つの視点に加え、前癌病変としてのキャリア末梢血中の感染細胞の解析からプログレッションに関わる遺伝子異常の解析を行うという多角的なアプローチで研究を進めています。また、この様な研究を可能にするために、臨床病態や腫瘍細胞の解析の基盤として全国45施設が参加する共同研究組織JSPFADを組織し、キャリアのコホート研究とキャリア及び患者の検体のバイオマテリアルバンクを形成・維持して、全国の研究者と共に研究を推進する体制を整備して来ました(図5)。


図2.ATLの臨床疫学的特徴

 

 


図3.HTLV-1感染から腫瘍化への道筋

ATLはHTLV-1の感染後、数十年という非常に長い潜伏期間を経て発症する。しかし、その間に感染細胞内でどのような変化が引き金となって、5%という限られたキャリアだけに発症するのか、その遺伝学的背景はほとんど分かっていない。
現在ATLに対する効果的な治療法は開発されていない。そのため、キャリアの中で発症の危険度の高い人に対する発症予防を行なうことが望まれる。そのためには有効なリスクインディケータを同定する必要がある。また、ATL発症後も有効なgene-targeting治療のために、ATLのBiomarker遺伝子を同定する必要がある。
私たちは2007年より、ATL患者での網羅的な遺伝子発現アレイの解析を続けており、ATLの多段階発癌機構と深い関わりのある遺伝子の探索を行ってる。

 


図4.ATL研究のアプローチ

 

 


図5.JSPFADによるバイオリソースバンク

JSPFADによるバイオリソースバンク形成の現状を示す。現在、北海道から沖縄までの45施設が参加しており、採血の翌日に研究室に配送された検体は、血漿、細胞およびDNAに分けて保存される。プロウイルスDNAを定量し結果が臨床施設に報告される。現在までに、6850検体が集積されている。

 

この様な研究体制の元で、ATL発症高危険群を同定する解析を行い、末梢血中のHTLV-1感染細胞の数(ウイルスロード)が一定以上のキャリアキャリアのみからATLを発症する事を明らかにしました(Iwanaga et al., Blood 116:1211,2010)。また、このバイオマテリアルバンクを用いて網羅的なゲノム解析と発現解析を行い、ゲノムコピー数異常、遺伝子発現プロファイルおよびmiRNA発現プロファイルのデータベースを構築し、それに基づいて、ATL腫瘍細胞における特定のmiRNAの発現欠損が全例に認められること、それがATL細胞に見られる恒常的NF-κB活性化をもたらす事、miRNAの発現がポリコームを介してエピジェネティックに制御される事を明らかにしました(Yamagishi et al., Cancer Cell 21:121,2012、図6)。最近では「がん幹細胞」の探索も行っており、「がん幹細胞」の基準となる、「免疫不全マウスにおける連続継代が可能」な細胞集団の存在を示し、その実態を解析しています。


図6.ATL細胞で明らかになったPolycomb-miR-31-NF-κB リンケージ

 

原因ウイルスの病原性発現に関わる分子機構の解析では、HTLV-1がコードするRNA結合タンパク質Rexが、細胞のRNA品質管理機構(Nonsence-mediated mRNA Decay, NMD)を抑制し、ウイルスの複製を促進すると共に細胞遺伝子の発現を撹乱する事を発見しました(Nakano et al., Microbes Infect, in press)。

(2)リンパ系悪性腫瘍(ATL以外の白血病・リンパ腫)の分子病態

細胞増殖に関わるシグナル伝達機構の分子病態の観点から、リンパ腫細胞の増殖と生存に関わる機構を明らかにし、新たな診断と治療法開発の基盤を明らかにする研究を行っています。代表的な悪性リンパ腫であるホジキンリンパ腫、特有のキメラ型がん遺伝子を持つ未分化大細胞型リンパ腫などの特異な異常を明らかにし、診断と治療法開発の新たな展開を行っています。新規NF-κB阻害剤DHMEQが抗癌剤としての活性を持つ事を、ATL細胞、多発性骨髄腫、ホジキンリンパ腫等で明らかにし、前臨床の検討を終え、臨床応用の準備をしています。さらに、薬剤耐性を示す固形癌が多くの場合NF-κBの活性化を伴う事から、固形癌に対する抗癌剤としての可能性の検討も行っています。

(3)HTLV-1とエイズウイルス(HIV)の潜伏感染と再活性化機構の解析

HTLV-1およびHIVの病原性発現機構の理解には、潜伏感染と再活性化の機構を明らかにする事が重要です。潜伏におけるエピジェネティックな制御機構について研究を進めており、ポリコームの関与を示唆するデータを得て解析を進めています。
HIVおよびHTLV-1のアンチセンスRNAの解析を行い、HIVにおける新たなアンチセンスRNAを同定し、そのウイルス複製抑制機能を明らかにしました (Kobayashi et al., Retrovirology, 9(1):38, 2012)。

最近の論文

  1. Nakano K, Ando T, Yamagishi M, et al.,
    Viral interference with host mRNA surveillance, the nonsense-mediated mRNA decay (NMD) pathway, through a new function of HTLV-1 Rex: implications for retroviral replication.
    Microbes Infect, 2013, in press
  2. Yamagishi M, Watanabe T.
    Molecular Hallmarks of Adult T Cell Leukemia (Review Article).
    Front. Microbiol
    . 3:334. Sep. 2012(doi: 10.3389/fmicb.2012.00334) Epub
  3. Nakano K, Watanabe T.
    HTLV-1 Rex: the courier of viral messages, making use of the host vehicle,
    Front. Microbiol
    . 2012;3:330. doi: 10.3389/fmicb.2012.00330.
  4. Yamagishi M, Nakano K, Miyake A, et al.,
    Polycomb- mediated loss of miR-31 activates NIK-dependent NF-kB pathway in adult T-cell leukemia and other cancers.
    Cancer Cell
    , 21: 121, 2012
  5. Kobayashi-Ishihara M, Yamagishi M, Hara T, et al.,
    HIV-1- encoded antisense RNA suppresses viral replication for a prolonged period.
    Retrovirol, 9(1):38, 2012
  6. Yamamoto K, Ishida T, Nakano K, et al.,
    SMYD3 interacts with HTLV-1 Tax and regulates sub-cellular localization of Tax.
    Cancer Sci
    , 102(1): 260-266, Jan. 2011
  7. Iwanaga et al.,
    Human T-cell leukemia virus type I (HTLV-1) proviral load and disease progression in asymptomatic HTLV-1 carriers: a nationwide prospective study in Japan.
    Blood 116:1211-1219, 2010